悩んでる姿を晒すこと。
こんばんは!
香です!
私、悩んでます!(笑)
何に悩んでいるかというと、
自分の"断る力"が欠落していること
に悩んでいます!
どういうことかと言うと、
何かを頼まれた時に、その人の力になれるなら、その人(自分とって大切な人)にとって断ることで被害が及ぶようなことあってはらない、だからやる!
という、思考回路なんです。
自分のやりたい2:その人のためにやる6:断わることでチャンス逃したくない2
みたいな比率で、圧倒的に自分より他人の比重が多いのです。
最近、それでガツンと怒られました。
「やりたくないこと平気でやるな。」
大切にしたい人を大切にしたくて、やるという選択肢をとったのだけど、事実、私が心からやりたいことではなかった。
「周りが他人がじゃなくて、自分がで判断しないと、これからずっとトラブル続きだぞ。」
と言われ、その通り。返す言葉もなかったです。本当に、その件については私の責任であり、問題でした。こんなにストレートに強く物事言われることや大切にしたい人に結果的に誤解をうみ傷つけるような結果になってしまっている事実に頭はガンガンするほど、痛くて吐き気が止まらない、そんな状況に陥りました。
ただ、ここでどうして拭いきれない問題にも直面する。
①やりたいことを最初からできるわけじゃないことを経験的に知っている、だからこそがむしゃらにやってみることが大切なのではないか問題
②誰かの想いがかたちになる瞬間が、大好きな私の判断軸に常に、自分以外の他人の幸せは欠かせない問題
だから、教えてもらったことはとても大切であり、自分の課題なのだけど、これらの問題を踏まえてどれぐらいの比率を「自分」の当てようか、というのは考えどころ。
自分という人間の判断軸が、一番太くあるけど、その中に「誰か」への想いが同じくらいあるから難しい。
だって私は、みんなと一緒に幸せになりたい。
うーむ。
たぶん、色んな人と話してみて気づいたけど、本当に私の中で自分以外の「誰か」の想いがかたちになった瞬間に幸せを感じるから
自分≒他人
なんだ。でも、現実は
自分≠他人
なんでしょう?
結局私は、ただ綺麗事並べてるのかい?
でも何度も何度も自分の中で考えたり行動してみたけど、やっぱり自分とそれ以外の多くの「誰か」の幸せがある未来が欲しい。
「誰か」の幸せが幸せな私は一人じゃ幸せになれない。
うーむ。難しい。なーにまとまらない話をしているんだ。ぐるぐる。
でもね、言葉にもならない、悩みかも分からない、名前もつけられない感情を文字をつかって可視化すること。
それって大切だと思うんだよね、「誰か」の何かになる可能性もあると思うから。少なくとも0じゃないから、希望あるよね!
大人はいつだって、完結した答えを教える。
でも私は、完結していない泥臭い汗まみれのリアルを突きつけたい。
そして「考える」ことを通して、自分のこたえを掴んでほしい、そして幸せになって欲しい。
そんな想いがあるから、こんなブログをこれからも書いていきます。
次回は、リクエストを頂いた、
花粉症、蕁麻疹、アレルギーを克服した食にまつわる私のおすすめ玄米菜食、についてお伝えします(*^^)
薬に頼らず、自己治癒力を高める食の提案をしていくことは、私の夢の一つです。
それではまた(*˙︶˙*)☆*°